多摩川での鯉釣り

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多摩川のにおい

シーバス釣りをはじめるきっかけになった出来事といえば古く遡ると幼少期。その時は釣りと言ったら多摩川での鯉釣りだった。自宅の最寄りのバス停からバスを2つ乗り継ぐ旅路はとても遠く感じた。父とどんな話をしたのかなどの記憶はない。鮮明に覚えているのは終点のバス停を降り、土手を登りはじめると鼻に入ってくる多摩川のにおいだった。それは川のにおいではなく紛れもなく多摩川のにおいだ。

はじめての自分の釣り道具

何歳からその釣り場に行っていたのかは定かではないが記憶があるのは小学校に上がる前だ。自分の竿とリールを買ってもらい挑んだ鯉釣り。二本継ぎの竿にセットになったリール。まさに子供用。仕掛けと餌は父のセッティング。「ちょんちょんと来た一回目のあたりでアワセたらだめだ。三回目くらいでグーッと抑え込んだらあわせるんだ」父は何度もこの教えを繰り返していた。

竿が30度くらいの角度でとまるように足元の石を組み上げる。グリップエンドの先には少し大きめの石を置いてグリップエンドを引っ掛け竿がバランスよく止まるようにする。固定してはいけない。いざという時に竿を一気に取り上げてアワセを入れるのだ。だから、あくまでグリップエンドは石に引っ掛けるようにするのが良い。とはいえ川の流れを受けたナイロンラインのテンションで竿が倒されてもいけない。絶妙なバランスを構成する。

道糸に丸形のドブ釣り用の重りを通しその先にサルカン。サルカンの逆側には二本針の段違いの仕掛け。上の針には上は少し大きめ、下には小さく丸くした練り餌をつける。小さな体で自分の体より丈のある竿を振る。餌が放り出されてポシュっと川面に波紋を作る。良いポイントに着水すれば父が「いいところだ」と言う。イマイチなところでも「そこでも大丈夫だ」と言う。

鯉の魚信

竿の穂先を見て過ごすことは嫌いじゃなかった。飽きることもあったと思うがそれで釣りがつまらないと思ったこともないし、言ったこともない。流れに押されてゆっくりと上下する穂先。時と共に色を変える風景。水面の小魚の波紋。飛んでくる鳥。そんなのを見ているとすぐに父は新しく餌をつけて打ち直している。寸分違わず同じところに打ち直すのは見ていて惚れ惚れする。私も真似て餌をつけかえて竿を振る。

何度かそれを繰り返していると父の竿にあたりが出る。当然のように釣り上げる。自分の竿に視線を戻し待つ。

ちょんちょん!

「はっ!」と思い腰を上げ竿に手をかける。一旦竿先が静かになる。父の顔を見るとまだだと伝えるように笑っている。次の瞬間、竿が一気に倒れ川面に飛んでいきそうになる。すんでのところで竿を握り無我夢中でリールを巻く。しかし、リールが巻けない。竿は折れんばかりに弧を描いている。その時テレビで見たカジキマグロとのやり取りを思い出し、見様見真似のポンピングしてリールを巻く。必死だ。しばらくするとようやっと魚が寄ってきている。笑いながら父がタモに入れる。なんとも誇らしいはじめて釣った魚。60センチは超えていた鯉はとんでもなく大きいと思った。

多摩川が注ぎ込む東京湾

多分これが私の釣りの原体験。

先日、今は当時の場所は釣りづらい河川敷になってしまっていると父が嘆いていた。父の多摩川での鯉の最高記録はメーター超えだ。今年も狙いに行くのかもしれない。そして今、私はこの多摩川が注ぎ込む東京湾奥でシーバスを年中狙っている。

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