東京湾ではじめてシーバスをルアーで釣った

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はじめてのシーバス

パラダイムシフトが起きたはじめたの東京湾シーバス

自分の釣り中で大きなパラダイムシフトがあったのは、やっぱり東京湾ではじめてシーバスをルアーで釣ったときだったと思う。運河だった。様々な要因が重なり合って釣り上げることが出来た1本だったが釣りに対しての見方を大きく変えた。

ルアーシーバスをはじめたわけ

釣りは長い間していた。川も海も湖も。誘われれば船も乗った。多摩川中流域の鯉釣りにはじまり、そこから上流部へヤマメ、イワナを目指してまさに遡上していった。川幅が狭くなり、水量も少なくなり、沢に入る道はますます険しくなった。上流に行けば渓流魚が乱舞する秘密のポイントがあるはずだと奥へ奥へ向かった。渓流は仲間と基本夏に行った。そして、必ず七輪を担いでいった。重い七輪を交代交代で持ち、サンダルではこれ以上降りれないと悟った時にこれ以上上流に行ってもパラダイスはないし、これ以上は危ないとそこそこの沢で満足するようになった。そもそもサンダルだし、七輪があるから言うほど無理をしてないわけだが(笑)とはいえ、そんな沢でもきれいな渓流魚の魚体が拝めるくらいには釣りは上達していた。

海に下りスズキに出会う

3年間も浪人した私は大学4年、親友の一人は大学卒業後私が紹介したバイト先に就職して、サクッとそこを辞めて失業手当中。暇なお互いが釣りでも行くかで親友の再就職まで毎日釣りに行った時期があった。その時に親友が仕入れてきたのが海の釣りだった。前職の同僚に誘われて海釣りを覚えてきたのだ。親友に誘われるままに海に行って釣りをはじめた。当時ポイントが紹介された雑誌を購入し良さげなところをまわってみた。そこで見つけたのが東扇島だった。当時は、まだテロ対策という言葉もないような時期だったので島中の岸壁に出ることが出来た。

今はなきシーバスポイント東扇島スバル前

そこで紹介されていたのはスバル前というポイント。残念なことに今は入れない。柵のない岸壁まで行くことができ、じゃまにならならければ永遠と釣りしていることが出来た。大型の船が入るので岸壁から下は10メートル以上あるようなポイント。しかもその岸壁は陸側にかなりえぐられており、自分たちのいるところは何本もの大きな柱の上のコンクリートの地面でだった。その雑誌には簡単な仕掛けも紹介されていた。中通しのオモリを通してサルカンを結び長めのハリスに針。餌はイソメ。それを岸壁から垂らすとスズキが釣れるというものだった。

水深10メートルに餌を1つ?

「水深が10メートルあるんだから、胴付きの仕掛けで針たくさん出したほうが良くね?」ということでメバルの船用の仕掛けを準備して来ていたのでそれを垂らしてみる。季節は5月。日は沈み橙色の水銀灯の明かりの中で釣りを開始した。3本ばりにイソメをそれぞれ付けて真下に垂らす。真下に垂らすのだが潮の流れで結構斜めになる。その具合を確認しつつ二人で5本くらい竿を出していた。出しては鈴をつけ置き竿。全ての竿を出す前にあたり。鈴が単発で「リリン!」となる。かかってるかと思って上げてもついていない。そんなのを数回繰り返して単発の「リリン!」を放置しているとけたたましく「リリリリリン!!!」と竿が引き込まれる。釣り上げるとスズキだった。

一晩中釣れ続けるシーバス

そこからはお祭り騒ぎ。ピーク時には一つの竿をまきながら足で引き込まれそうな竿を踏んで抑えているような状態だった。魚を針からはずす暇がなくなるほどだった。かからなかったり、バレたりで一晩中笑いながらスズキを釣り続けた。釣れなくなると鈴をつけたままその場で寝る。鈴に起こされてまた釣るというようなことをしながら一晩過ごした。今ならよく分かるが、港湾部のバチ抜けに大当たりしたのだ。そう考えるとその後何度か行ったがこんなに釣れることがなかったことにも納得ができる。

忘れられない出来事

朝日が上がり、だいぶ明るくなったとき私の磯竿にあたりがあった。それまでのあたりと変わりのないあたり。一晩やれば飽きも来ていたが、久しぶりのあたりだったこともありすぐに臨戦態勢。竿先がしっかり抑え込まれたことを確認してあわせる・・・。と磯竿がぐっと抑え込まれる。竿をあげようにも上がらない。完全にのされてしまっている。あれだけ弾力のある竿が硬化してしまっている感覚。魚はトルクのある走りをして岸壁に沿って走っていく。竿をのされた状態でそのまま歩いてついてく。どうしようと思っている間にふっと軽くなってしまった。元の弾力に戻った竿がオモリを吊るして揺れている。スゲ~のがいるんだな。あんなん掛かったら絶対に釣れない。そう感じた。

釣り再開=東京湾ルアーシーバス開始

その後、親友の失業保険が終了し再就職。911が起きてスバル前では釣りはできなくなってしまった。東扇島の西公園にも何度か行ったが時期もあったのか釣果は余り振るわなかった。就職、結婚と続き単発で釣りには行っていたが、仕事の忙しさもあり釣りをする余裕は少なかった。一人目のこどもが生まれたことで全国を飛び回っていた営業から内勤の仕事に異動した。それまで移動しながら効率よく仕事をしていた自分にとっては決まったとおりに仕事を進められることは何より楽だった。そこで余裕が出来た。その時に思い出したのが、磯竿をぶち曲げたあのスズキだ。そこからまずどう釣ったら釣れるのか?をリサーチしてルアー釣りにたどり着いた。そこから準備した。

東京湾ではじめてルアーでシーバスを釣る

そして、2013年の初春。釣行は3回目だったと思う。ポイントは学生時代に行ったことがあるポイント。どこで釣れるか分からないが、頻繁にライズがあり魚は間違いなくいる。巻速度はわからない。こんな感じなのかなで様々試す。朝3時頃から釣りはじめて釣れたのはもうとっくに明るくなってきてからだった。それは鯉釣りの前あたりがあるわけでもなく突然だった。バイブレーションルアーを思いっきりキャストして早く巻いてきたところに「ガツン!」とあたり。手元まで伝わるあたり。ボクシングでカウンターを食らったような衝撃だった。その後はわけも分からずファイトして最後は抜き上げた。50くらいのシーバスだった。

今までとは全く違う感覚

なぜ今までの釣りとは違うあたりだったのか? あたりの違いはタックルが違うことが一つ。もう一つは捕食が違う。重量のある魚がルアーという餌に襲いかかってくるこの衝撃が今までの釣りと違った。伸びないPEライン、渓流竿や磯竿とは違う剛性の高いロッドが手元に野生の捕食行動をよりダイレクトに伝えてくる。全身であたりを受け止める。そんな体感だった。その感覚が脳髄に残り忘れられないものとなった。そして今もこのルアーシーバスを続けてる。

はじめてのシーバス

はじめてルアーで釣ったシーバス

2匹目のシーバス

2匹目のシーバス

3匹目のシーバス

3匹目のシーバス

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